FACULTY OF POLITICAL SCIENCE AND ECONOMICS
CONTENTS

政経学部の卒業生

卒業生VOICE

河野洋平さん

卒業生VOICE

積水ハウス株式会社
法律政治学科 2020年3月卒業
河野洋平さん
東京都私立共栄学園高等学校出身
大学で「町づくり」を学び、住まいを通して人の夢を叶える仕事がしたいと思い、ハウスメーカーに就職しました。現在、戸建住宅販売の営業職に就き、お客様のマイホーム造りのお手伝いをしています。マイホーム造りは、多くの方にとって一生に一度の大きな買い物です。お客様の意図をくみ取り、潜在的な要望を察し、自分はどう役に立てるのかをお客様の立場に立って親身に考え、行動することを常に心掛けています。入社後、もっとも印象的だったのは、やはり初契約のお客様に住宅を引き渡した時です。その際に「あなただから、決めました」と言っていただけたことが本当に嬉しくて、今でも仕事をしていく励みになっています。全てのお客様から同様のお言葉を頂ける様、日々邁進しています。
石田 りかさん

お客さまの心に寄り添い、
笑顔で送り出す仕事にやりがいを
感じています。

株式会社JALスカイ
経済学科 2018年3月卒業
石田 りかさん
群馬県立沼田女子高等学校出身
羽田空港でチェックインカウンター業務のほか、搭乗のご案内、到着便のお客さま対応などに携わっています。いかなる時も迅速で的確なご案内をするためには、お客さまが何を求めているかを察知することが必要です。常に多角的に物事を考え、提案は複数提示するなどお客さまに満足いただける、心に寄り添ったサービスを心掛けています。まだまだ未熟なところもありますが、空港スタッフの一員として、仲間と協力して定刻通りに笑顔で飛行機を送り出せた時のやりがいは大きいです。これからは後輩を教える立場に。精神面でもケアできるような指導をしていきたいです。
この仕事を目指したのは、大学時代に参加したゼミ旅行や海外研修で空港で対応してくださったグランドスタッフの方の接客する姿に感動し、憧れたからです。また、大学で参加した桂太郎塾では討論を通して、仕事に必要な多角的な視点が身につきました。

大学時代に自分の引き出しをたくさん作ると、人生に厚みが出ます。私は海外研修(ゼミ、麗澤会)、リーダー養成塾、弁論大会などに挑戦しました。拓殖大学には多くのチャンスがあります。どんどんつかみ取って糧にしてください。
杉山 大樹さん

目の前のことに全力投球することで、夢や目標がきっと見つかるはず。

文京区役所
経済学科 2011年3月卒業
杉山 大樹さん
東京都・千歳丘高等学校出身
私が政経学部を選んだ理由は、社会人になるために必要な知識を得られる学部だと感じたからです。当時の私は法律も、政治も、経済も、あまり詳しい知識がありませんでした。だからこそ、大学でしっかりとこれらを学んで社会に出るための準備をしたいと考えたわけです。私が入ったのは経済学科でしたが、政経学部は学科の枠を越えて柔軟に学べるカリキュラムとなっており、法律、政治、経済をバランスよく学ぶことができます。私の場合は政治学に関心を持つようになり、ゼミナールでより深く研究することになりました。このように入学してから専門的に学びたい分野を選べるところが政経学部の魅力だと思います。ちなみに政治学のゼミナールでは、「政治的社会化」というテーマに関心を持って学びました。専門的には人間が幼少期から成人する過程、あるいは成人後においても、政治に対する価値、態度、行動様式などを学習し、獲得していく過程のことを指します。研究を深めるうちに学校・地域教育の重要性に注目するようになり、それは現在文京区役所の職員として取り組んでいる青少年の健全育成という仕事にもつながっています。

私のように大学での出会いはきっと将来の糧になると思うので、勉強、ゼミナール、サークル活動などに打ち込んで、自分を成長させる4年間にしてほしいと思います。将来の夢や目標が見つかっていないという人でも、目の前のことに全力で取り組む、あるいは全力で取り組むための力を養うことで、きっと未来が拓けるきっかけが見つかると思います。
谷本 優子さん

新しい未来につながった学生時代。拓殖大学を選んでよかったです。

社会保険労務士
法律政治学科 2007年3月卒業
谷本 優子さん
鳥取県・倉吉産業高等学校(現・倉吉総合産業高等学校)出身
私が拓殖大学の政経学部を選んだ理由は、法律学に関心があったこと、国際的に学べる環境が充実していたことなどが挙げられます。学生時代に最も印象深いのは、奥田先生のゼミナールで学んだことです。奥田先生は民法や環境法の専門家で、ゼミナールでは学生それぞれが関心のある判例を取り上げて研究に取り組んでいました。民法がカバーする領域は幅広く、私は労働に関係する判例を研究していましたが、ゼミナールの仲間はそれぞれに異なる分野の判例を取り上げていたので、発表を通じてさまざまな考え方や価値観に触れることができました。また、ゼミナールの中に留学生がいたり、ゼミ旅行で中国の北京を訪問したり、拓殖大学らしいグローバルな体験ができたことも思い出に残っています。

私は叔母が社会保険労務士をしていたことから、女性が社会で自立してキャリアを積める仕事だと感じ、在学中に資格を取得しました。社会保険労務士として年金に関する相談受付や若い女性のキャリア講師など、幅広い仕事に携わらせていただきました。現在は子育てのために休業していますが、自分で時間調整ができる仕事のため、その気になればいつでも復帰できると思うと心強いですね。大学に入るまでは法律に関心を持って学んだり、社会保険労務士として働いたり、そんな未来は想像だにしませんでしたが、勇気を出して一歩踏み出したことで新しい未来が拓けました。今振り返ってみても、素敵な出会いとさまざまな発見を与えくれた拓殖大学を選んで本当によかったと思っています。
新宅 沙貴さん

先生の勧めでドイツ留学を経験。視野と可能性が広がった学生生活でした。

ファミリーマート(本社・総合職)
経済学科
新宅 沙貴さん
神奈川県・横浜商科大学高等学校出身
私が政経学部を選んだのは、経済学は社会に出てから役立つと考えたからです。世界史の勉強が好きだったので、入学してからは特に経済史に関心を持って学びました。また、政経学部では地域研究が盛んで、私は第2外国語でドイツ語を履修していたことから、ドイツに関する研究にも力を入れていました。ドイツ語を担当する田野先生から、個人研修奨学金という制度があることを教えてもらい、2年次の夏季休暇を利用しておよそ1ヵ月間留学しました。現地の語学学校でドイツ語を学び、そこで仲良くなった他国の留学生とドイツを旅行するなど、貴重な経験をすることができました。積極的に行動する自信とコミュニケーション能力が身についたのも大きな収穫だったと思います。

私が就職活動で心がけたのは、業界ではなく企業を見て会社を選ぶこと。ファミリーマートは高校から大学まで店舗でずっとアルバイトをしていたので、私にとってとても身近な企業でした。採用試験では現場ならではの視点から「お客様が快適なのはもちろん、働く人も快適な店舗づくりが大切」だということを本社で熱弁したところ、採用していただくことができました。まずはスーパーバイザーとして、「快適な店舗づくり」に貢献する仕事に携わっていきたいと考えています。

政経学部は学びにおいても、将来の進路についても、選択肢が広い学部だと思います。これから入学するみなさんも、自分の関心があるものを探して、充実した4年間を送れるようにがんばってください。

卒業生インタビュー

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女性や弱者の力になれる警察官になりたい

島田智紘さん
神奈川県警 勤務
2022年3月政経学部経済学科卒業
インタビュアー:荒川菜々さん(法律政治学科2年)
2023年初夏、文京キャンパスにて取材、写真撮影

警察官を目指した理由
荒川:本日はお忙しいところ、インタビューのため、茗荷谷までお越しくださり、ありがとうございます。さて早速ですが、なぜ警察官を志望するようになったのですか。
島田:もともとは、大学入学後もそれ以前も警察官になろうとは思っていませんでした。ただ、大学三年生で進路を決める時、「自分は何になりたいんだろう」と考えるようになって、これまでの経験を振り返り、「自分のしたことで誰かに喜んでもらえること」や「誰かのために何かをすること」が好きだなと思ったのです。そこから、人の役に立つ仕事がしたいなと考えて警察官を志望するようになりました。警察官の他にも、人の役に立つ仕事や喜んでもらえる仕事は多くあると思いますが、警察官は県民の方々に、より親身になることが出来ると考えました。
荒川:警察官の仕事には危険を伴うことも多くあると思うのですが、志望するうえで不安なことはなかったのでしょうか。
島田:不安はかなりありました。現実はドラマと違って、警察官が事件や事故に巻き込まれて怪我を負ったり、殉職してしまうニュースをよく耳にするからです。また、親にも女性であることの危険性を心配されて、なかなか賛成してもらえませんでした。最終的には、私の熱意を両親にしっかり伝えて、理解してもらいました。現在、実際に警察官になって警察官がどういう職業なのかを知っていくうちに、警察官になる前となった後では、不安なことが変わってきたのです。警察官になる前は自分の身に降りかかる危険に対して不安がありましたが、なった後では自分が誤った判断に基づいて対応をしてしまったら取り返しがつかないことになる、といった不安がありました。
荒川:自分の身の危険だけでなく、自分が誤った行動をしてしまった時に周囲におよぶ危険にも不安を感じるということですね。
島田:そうです。実際に仕事をしていてそう思ったことがありますね。
 
警察官としての現在の仕事
荒川:続いて、現在の仕事の内容について教えていただけますか。
島田:はい。最初は、警察官になった直後に、警察学校へ入校します。多分これはどこの県警も同じだと思いますが、大卒の場合は半年間学校に入って、あらゆる知識を学んで警察学校を卒業します。そのあと実習生として三か月間、実際の現場で仕事をします。私は、実習の最初の二か月間、地域課に配属されて交番の前に立って見張りをしたり、パトカーに乗って巡回をしていました。実習最後の一か月は、警察署の中にある一部署に配属されて、実習生としてその部署が携わる現場へ先輩署員と一緒に赴き、実践的な仕事を学びます。警察署での実習を終えると、現場で経験したことをさらに深く学ぶために、警察学校の補修科へ二か月間入校します。補修科を終えた後は、また三か月間の実習を行っていきます。私は今、この三か月間の実習を”実習生”として行っているところです。その後は実習生から、一人前の警察官となります。そして実習生の期間が終わってからは、また交番での勤務になります。
荒川:警察官になった初めの一年間は実習をメインに仕事をしていくのですね。実際に警察官として仕事をしてみて、今のところ苦労を感じたことは何ですか。
島田:警察官にはすごく体力が必要で、大変なイメージがあると思います。ただ、体力面に関しては、もともと剣道を部活でやっていたこともあって、人並みには体力があると自信を持っていて心配もしていなかったし、実際に苦労をあまりしませんでした。しかし、勉強が苦手だったので・・・(笑)。知識を覚えてなければならない勉強面で私は苦労していると感じました。
荒川:具体的にはどんな知識を覚えるのが大変でしたか。
島田:警察官は、一般では学ばない専門的な法律の知識が多くあるので、その知識を頭に入れていくのが難しいと感じました。
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拓大に入学したきっかけ
荒川:ところで、なぜ拓殖大学政経学部へ入学されたのですか。
島田:もともと高校で剣道をしていて、高校の剣道部の顧問の先生と、拓殖大学の剣道部の監督の先生同士が知り合いであったことをきっかけに入学を決めました。つまり、警察官になるために拓殖大学へ入学したわけではないのです。
荒川:島田さんの大学生活の後半、新型コロナウイルスが流行してしまっていたと思うのですが、やはり部活動の剣道にも支障があったりしたのでしょうか。
島田:はい。当時、剣道部には30人くらい部員がいたのですが、全員で集まって練習が出来ないことになってしまって、半年間くらいはまともに練習もできませんでした。そもそも、大学にも行けず、家にいても不自由な状況だったので辛かったです。でも、三年生になった夏前あたりから、時間を分けた少人数での練習が解禁されました。また、その年の夏から就職活動やインターン、企業説明会に参加しました。
 
試験に向けた勉強方法とは
荒川:警察採用試験に向けての勉強をするようになった時期も、三年生の夏頃からですか。
島田:そうです。多分、勉強を始めるのは遅い方だと思うんですけど(笑)。大学で公務員試験対策のコースのようなものに申し込みして勉強し始めましたね。コロナ禍で対面授業ではありませんでしたが、動画で講習を受けていました。あとは、数的処理という試験科目がすごく苦手だったので、理数系の仕事をしている知り合いに個別指導をお願いして勉強したり、市販の問題集や過去問を買って勉強しました。詰め込むような勉強方法になってしまったのですけど(笑)。
荒川:問題集や過去問は何周くらいなされたのですか。
島田:私は、同じテキストを2周くらいしかできなかったのですけど(笑)。でも、得意分野の問題はあまり力を入れすぎずに、苦手分野に力を入れて勉強するように工夫しました。苦手分野だけ別の参考書や過去問の問題も解いていました。得意分野の問題は何問か解いただけで、問題集を一周もしていないのではないかと思います。
荒川:なるほど。勉強方法はとても参考になります。
 
在学中に学んでおくべきこと
荒川:続いての質問です。在学中に学んでおくべきことや印象に残っている授業があれば教えてください。
島田:私は所属した関ゼミの影響もあって環境関連の授業が印象に残っていますね。日本や世界の環境に関する授業に興味を持ちました。大学で学んでおくべきことは、日本の政治情勢やジェンダー問題、貧困問題などに対する知識は警察官になった今でも活かされていると感じます。警察官として県民の方と対応していると、ちょっとしたことですけど、知識不足で相手の方と会話が成り立たなかったり、対応がうまくできなかったことがありました。大学での学びは何らかの形で必ず役立つのかなと思います。
荒川:日常のちょっとした対応の時に、大学で学んだことが活かされているのですね。ゼミでは具体的にはどのようなことを学んでいたのでしょうか。
島田:関ゼミでは、学生が「こういうことを学んでみたい、こういうことをしてみたい」と思ったことを主体的にさせてくれて、とても充実していました。その一つであるフィールドワークでは、過疎化と高齢化の進む、山口県の大津島へ実際に赴いて、島の美化作業や島の名産品である柑橘類の『酢橙(すだいだい』の植栽、収穫、加工までをして、東京ではボランティアで宣伝しました。これらの活動を通じて、普段関りの少ない高齢者の方と接する経験を得たことで、今の警察官の仕事でも必要になるコミュニケーション力に生かされていると感じました。
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どのような警察官になりたいか
荒川:今後、どのような警察官になりたいでしょうか。島田さんが描く将来像があれば教えてください。
島田:実習を終えてから、追々実現していきたいことは女性や弱者の力になっていくことです。女性警察官はまだ少なく、男性警察官がどうしても多い現状では、女性が巻き込まれるストーカーなどの被害も増えてきていて、悩まれている方も多くいるのではないでしょうか。そのようなケースで力になれるのは、やはり同じ女性である私のような警察官しかいないと思うので、女性や弱者の一番力になれる存在になりたいです。
 
拓大生へのメッセージ
荒川:最後に、警察官を目指す拓大生に向けてお願いします。
島田:警察官を志望してくださることは、とてもうれしいですし、すごくありがたい存在であると思っています。洞察力や好奇心を持つことなど、大学ではいろいろなことに目を向けられると将来役立つのではないでしょうか。かくいう私も、そのような力をもっているかと自問すると不安なところはありますが、しっかりとこれからも警察官としての任務を遂行していきたいと思っているので、皆さんも頑張ってください。特に、女性の警察官が必要です。同期には吹奏楽部などの文化系の部活経験者もいます。警察の仕事に少しでも興味がある人は、ぜひ受験してみてください。
荒川:本日はありがとうございました。

岩崎 愛里 氏01

自分の可能性を拓殖大学で広げてほしい

岩崎愛里さん
アミューズメント会社 勤務
政治経済とともに国際関係も幅広く学べるため、政経学部に入学した岩崎氏。学内活動も積極的に行ったことで、様々な人との出会いが社会人として働く糧となっているそうです。
インタビュアー:落合瑞季さん(法律政治学科)、櫻井淑子さん(経済学科)
2019年1月24日、文京キャンパスにて写真撮影、茗荷谷駅周辺のカフェにて取材

政経学部への志望理由

――本日はお忙しい中、茗荷谷まで来ていただきありがとうございます。
岩崎:よろしくお願いします。2017年度に政経学部経済学科を卒業した岩崎愛里です。
――今回、茗荷谷駅近くのカフェでインタビューさせていただいています。私達、茗荷谷駅周辺のカフェに来たのは初めてですが、愛里さんは学生時代、よく来られましたか?
岩崎:はい。私が在学していたころは、3年生から文京キャンパスに来たので色々な所に足を運びました。茗荷谷には日替わりランチがとても美味しいお店やラーメンが美味しいお店もありますよ!
――そうなんですね!私たちも学生の間に行ってみます。それでは早速、政経学部に関する質問をいたします。まず、なぜ政経学部に入学したのですか?
岩崎 愛里 氏02
岩崎:私は高校生の時、政治経済の授業が大好きだったんです!さらに、高校が英語科のコースだったので、国際関係の授業にも興味がありました。政経学部では、法律政治と経済の両学科の授業も履修しやすいので、「志望校はここしかない!」と決意して受験しました。私の知る限り、政経学部という名前の学部は日本で6つくらいしかなかったんですよ!それもかっこいいと思って(笑)。
――実際にはどのような他学科の授業を履修しましたか?
岩崎:入学前から興味を持っていた国際関係の授業を履修しました。法律政治学科の授業を履修しても単位をもらえるので、安心して講義を受けていました。
――すごいですね!愛里さんは色々なことに興味があったんですね。
岩崎:拓大は興味があることが見つかっていない学生にも優しいですよ!「こんなことやるよー」と職員の方が学生に声をかけてくれますし、アットホームな感じでした。

人との出会いが未来への期待を大きくした

――続いて、社会人になった現在、この政経学部に入って良かったと思うことは何ですか?
岩崎:在学中、様々な授業を履修し、学内活動を積極的に行っていたので、経済学以外の出身学部の同僚や先輩とも良いコミュニケーションがとれました。それにより会社の人と良い人間関係を築くことができています。希望した部署に配属していただけた理由のひとつには、このコミュニケーション力があったからではないかと思っています。
――現在のお仕事の状況はいかがですか?
岩崎:仕事は大変ですが、楽しいですよ!まだ2年目なので大学の授業で学んだことを仕事に直接活かせるわけではありません。でも、会社でイベント運営を任された際に、大学で所属していたTAKUSHOKU NEW ORANGE PROJECTのおかげで、運営する上での段取りをすぐに把握できてスムーズに行えました。この経験は普通に大学生活を送っていただけではできなかったと思います。
――TAKUSHOKU NEW ORANGE PROJECTの話を詳しくお聞きかせください。
岩崎:私が行っていたTAKUSHOKU NEW ORANGE PROJECTの活動は、TDS(スポーツ振興部門)とT-girls(女子学生満足度向上PR部門)です。
TDSでは、寺川綾さん(ロンドン五輪競泳メダリスト)や藤野舞子さん(北京五輪競泳400m個人メドレー代表・拓殖大学卒)を招いたスポーツフォーラムで司会を担当しました。その際、コーディーネーターの小田貴子さん(元とちぎテレビアナウンサー・拓殖大学卒)とフォーラムでご一緒したのですが、話の進め方がスムーズで圧倒されました。フォーラム当日までの段取りや、話を進める為の引き出しを登壇者とのコミュニケーションの中から見つけ出している姿勢は大変勉強になりました!
T-girlsでは、学生が主体となる活動でしたので、各行事でのシフトの作成や役割分担の検討には苦労しましたが、この経験も今の仕事に大変役立っています。
――学生生活で一番楽しかったのはいつですか?
岩崎:うーん、やっぱり文京キャンパス(当時1~2年生は八王子国際キャンパスに所属)になった3年生かな。人との出会いが一番多かったことが理由ですね!!先ほどお話したように、文京キャンパスで学びはじめて、フォーラムの司会を任せてもらいました。また、ゼミにも入りました。ゼミの仲間は今でもたまに連絡を取り合って遊んだりしています。都心に繰り出したり、就職課の方々との出会いもありました。ディズニーでアルバイトを始めたのも3年生からでした。
――教職員の方たちとの思い出は何ですか?
岩崎:就職課の方々との出会いも一生忘れる事ができません。「岩崎さんはなんでこの会社がいいの?」「企業理念のこの部分に関してどう思う?」など、就職活動について沢山深掘りして下さいました。私が挫けそうになった時も、「今挫けたらどうなるの?」と、厳しく指導してくださり、背中を押してくれたこともありました。今、仕事で辛いことがあったら就職課の方の言葉を思い出して頑張っています。様々な出会いがあった3年生は未来の期待が大きくなった年でした。
――人との出会いはとても大切ですね!それではちょっと質問の内容を変えます。拓大の改善すべき点はどこだと思いますか?
岩崎:うーん、学生証の磁気が弱かったことかな。学生証が使えなくなって取り換えに行くことが多かったです。また、夏になると空調の温度をかなり下げる先生がいらっしゃいました。寒がりの女性が多いので、温度の下げすぎには注意が必要かもしれませんね。

受験生へのメッセージ

――それでは最後の質問です。拓大の受験を考えている方へのメッセージをお願いします。
岩崎:やりたいことが決まっている人も、そうでない人も、まずは拓殖大学のオープンキャンパスに足を運んでみてください。拓殖大学は、学生のうちに色んなことに挑戦できる環境、そして女子学生が過ごしやすい環境も整えています。是非、自分の可能性を拓殖大学で広げて頂きたいと思います!
――ありがとうございました。
岩崎 愛里 氏03インタビュアー
落合瑞季さん(左)
櫻井淑子さん(右)
内山 高志 氏01

チャンピオンを目指して拓大へ

内山高志さん
元ボクシング世界王者、株式会社KOD代表取締役
世界王者として闘志溢れる現役時代の表情とは全く異なり、ジム会員様に指導する時の温かい眼差しや、質問に答える時の真っ直ぐで生き生きした表情がとても素敵で印象的でした。

インタビュー:細井優子(政経学部准教授)
写真撮影  :岡田陽介(政経学部准教授)
2018年12月17日、四谷にある内山氏のジムKOD&LABにて実施

トップレベルの先輩方が身近な刺激に

細井:最近このジムをオープンされたそうですね。
内山:はい、12月にオープンしてまだ2週間ちょっとです。
細井:綺麗で明るいジムで、意外と女性の会員さんが多いんですね。
内山:はい、(男女比は)半々くらいで、フィットネスとボクシングを教えています。
細井:早速ですが、ボクシングの世界でアマチュアからプロへ、そしてチャンピオンにまで登りつめた内山さんですが、なぜ拓殖大学政経学部を選ばれたのでしょうか。
内山:うーん、これは模範解答を言うべきでしょうか(笑)
細井:ここは本音でお願いします(笑)
内山:ボクシング部はわりと昔から政経学部に所属することが多かったんです。
細井:今でもそうですね。
内山 高志 氏02内山氏と岡田准教授
内山:でも政経学部で学びたかったというのもありますよ(笑)
細井:今こうしてジムの経営者になられると、政経学部での勉強が役立つ面もありますか。
内山:はい、それはもちろんそうですね。
細井:よかったです(笑)。では学部選択はともかく拓殖大学を選んだのはどういう理由だったのでしょうか。
内山:拓大のボクシング部は全国で1、2を争う強豪だったので、どうせやるならトップのところでやりたいと思って拓大に進学しました。
細井:埼玉県春日部市出身ということで春日部の親善大使もされていますが、埼玉県の高校から拓大に進学されたんですか。
内山:はい、花咲徳栄高校のボクシング部だったんですが、毎年先輩が拓大のボクシング部に進学していたので。
細井:では拓大ボクシング部というのは、ご希望の進学先だったんですね。
内山:そうですね。
細井:実際に拓殖大学に入られていかがでしたか。
内山:僕としてはすごく楽しい学生生活だったなと思います。
細井:そうなんですか。ボクシング漬けの厳しい学生生活を想像してましたが。
内山:先生方は優しかったですし、他の部の学生や運動部に属してない普通の学生とも仲良くしてました。色々な仲間との交流があり楽しかったですし、充実してましたね。1~2年は八王子でしたが、3~4年は茗荷谷だったので、池袋なんかにも友達と月に1回くらいですが息抜きに遊びにいくこともありました。
内山 高志 氏03インタビューの様子
細井:今でもその時の仲間と交流はありますか。
内山:はい、何人かは今でも交流があります。
細井:拓殖大学での思い出や拓殖大学で良かったことってありますか。
内山:僕はボクシングやってましたが、拓大は他にもレスリングや相撲も強くてトップレベルの先輩方を身近に見ることができたのは良い刺激になってましたね。
内山:それから、「拓大出身です」というと結構色々な分野でネットワークが広がるんです。
例えば、すぐそこに四谷消防署がありますが、そこの署長さんは拓大出身なんです。だから今度何か(この町のために)一緒にやろうって話をしているんです。

ボクシングをはじめたきっかけ

細井:ところで、ボクシングは時に死者も出るような命がけのスポーツというイメージがありますが、内山さんはどのようなきっかけでボクシングを始められたんですか。
内山:中学2年の時にたまたまテレビでボクシングを見てすごく興味を持ち、自分もボクシングやりたいと高校でボクシングを始めました。
細井:素人質問で恐縮ですが・・・怖くないんですか。
内山:全然怖くないです。それより興味の方がずっと勝っていて、怖いと思ったことは一度もありません。
細井:世界チャンピオンと防衛、その厳しい道のりで拓大で学んだことが活きたことってありますか。
内山:上下関係や礼儀ですね。そういったものはかなり厳しかったです。だから、他の世界に出て行ったときにずいぶん楽に感じました。今のビジネスの世界でも礼儀は大切なので役立ってます。

貴重な時間を無駄にするな

内山 高志 氏04内山氏と細井准教授
細井:それでは最後に、内山チャンピオンから現役の拓大生に何かメッセージをいただけないでしょうか。
内山:「意味のない学生生活を過ごしてほしくない」ということです。学生生活4年間で培ったものがあるかないかが、その後の人生で伸びるか伸びないかの差になってくると思います。目標がある人はそれに向かってしっかりと頑張ってほしいし、目標がない人も今目の前にあることに我武者羅に取り組む、その中から何かが見つかると思うんです。
せっかく拓大に入ったからには時間を無駄にせず、しっかり勉強をした方がいいです。そうじゃないと、何か目標が見つかったときに気づいて勉強するのでは出遅れてしまいます。僕でも大学生に戻れたらと思うことが今でもありますから。
細井:それはどんなことですか。
内山:やはり今ジム経営を始めましたので、学生時代に経営学をもっと勉強しておけば良かったなと思うことがあります。ボクシングだってもっと練習しておけばと思います。
細井:ボクシングもですか。
内山:はい、時間は限られています。毎日(やりたいことに対して)時間が足りないと感じています。今学生生活を振り返ると時間を無駄にしたと思う部分もあります。だから、現役生たちには貴重な時間を無駄にするなと言いたいです。
細井:ありがとうございました。
内山高志さんプロフィール

1979年11月10日、埼玉県生まれ。高校からボクシングを始め、拓殖大ボクシング部で活躍。2002年、拓殖大学卒業後は会社勤めをしながらアマチュアボクシングで全日本選手権3連覇を果たす。2005年、25歳でプロデビュー。2010年、ファン・カルロス・サルガドを破りWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得。11連続防衛を果たし、WBAでは日本人初のスーパーチャンピオンにも認定された。プロ通算27戦24勝(20KO)2敗1分け。そのKO率の高さから「ノックアウト・ダイナマイト」の異名をとった。
髙橋 博史 氏01

「人種の色と地の境、我が立つ前に差別無し」という価値観を学ぶ

髙橋博史さん
拓殖大学海外事情研究所客員教授・外務省参与・元アフガニスタン大使
髙橋さんからは、古き良き拓大の伝統をお聞きすることができました。柔和な大使とはギャップのある豪快なお話に、驚かされたり笑わされたり、とても楽しいインタビューでした。世界でご活躍された拓大が誇るべきOBです。

インタビュー:細井優子(政経学部准教授)、田野武夫(政経学部教授)
2019年3月27日、外務省にて実施

私自身を作ったのは拓大

細井:髙橋先生は華麗なご経歴をお持ちですが、拓殖大学を卒業後すぐにカブール大学でダリー語を学ばれていますね。この留学はどういった経緯があったのでしょうか。
髙橋:拓大の先輩に「お前、卒業後どうするんだ」と聞かれて、「どうするんでしょうね」と言ってたら、「お前、カブール大学に留学したらどうだ」と言われたんです。
髙橋 博史 氏02
細井:その先輩も外務省の方なんですか。
髙橋:いえいえ、全然関係ないです。ただ私もなぜアフガニスタンなのかは聞きました。そうしたら、大川周明の『復興亜細亜の諸問題』をボーンと投げられまして、読んでみろと言われました。グレート・ゲームといういわゆる19世紀から20世紀における英露の戦いのさなかに、アフガニスタンがどのように大国のパワーゲームの中サバイブしていくかというのが書かれていたんです。これは面白いと思いまして少し勉強もして、先輩に「行きます」と言ったんですけど、カネないですからね(笑)。
細井:それでどうされたんですか。
髙橋:バイトしろとか言われましてね。いい加減なもんです。でも、私は「これだ!」と思っていましたので、やはり行くことにしました。
細井:大川周明と言いますと東京裁判で東条英機の頭をピシャっと叩くことで有名ですが、あの後、拓殖大学で教鞭を執られてたんですね。
髙橋:戦前から教鞭を執っていましたね。
細井:そうなんですか。
髙橋:日本で最初にコーランを翻訳した人です。
細井:東京裁判で勾留中にですよね。
髙橋:『復興亜細亜の諸問題』を読みながら、アジアっていうのは大国に翻弄されて本当に大変な状況にあるっていうのは認識しましたね。ただその時はまだそんな大国のゲームの中に私自身がどっぷり入っちゃうなんてことは予想もしませんでした(笑)。
細井:言葉も出来て、アフガニスタンにどっぷり入れる人材は貴重ですから、それがその後の外務省でのご活躍につながっていったのではないかと思います。
髙橋:私自身を作ったのは拓大だと思っています。(拓大校歌の)「人種の色と地の境、我が立つ前に差別無し」という価値観で世界を見てみると(それ以前と見え方が)全然違うんですね。日本というのは(島国なので)ある意味ラクな社会ですよね。もっと難しい地域があるなと思いながら、たまたま外務省に入って、今こんな風になっています(笑)。
細井:外務省に求められる人材だったんですね。
髙橋:人材育成という観点からすると、多種多様な人材を育成するんだという拓大の先輩方の考え方に乗っけられたというか、私がはまったとういう感じです。
細井:お話を伺っていますと、拓大の開拓の精神や豪快な文化があったからこそ、カブールという土地にも飛び込んで行けたのかなと納得してしまうところがあります。
髙橋:そうかもしれませんね。

後輩を育成する文化

細井:拓大の中でも政経学部を選ばれたのはどうしてだったのでしょうか。
髙橋:私はど田舎から何もわからずに大学に入ってしまったんです。何も知らない状態で、拓大で人格を形成していったという感じで、生き方を決めてくれたのが拓大だと思いますね。拓大では「世界に出ていけ」、「人の役に立つような人になれ」ということを教えられました。しかも私の場合は4年間ではなく6年間いましたからね(笑)。
細井:そうなんですか。それは初耳です(笑)。
髙橋:拓大にいた頃は、遊んでばっかりで全然勉強してなかったんです。だから、留学するときは辛かったですね(笑)。大変辛かったけど、やると決めた以上やるしかない。
カブールには直行便がないのでデリー経由で行くんですが、その前に香港に(仙台の伊達藩の血筋をひく)伊達先輩という方がおられたので訪ねて行きました。初対面でしたが先輩は歓迎会をしてくださいまして、「高橋、英語は出来るのか」聞かれまして「出来ません」と言うと、「馬鹿じゃないかお前は!」って言ってね(笑)。馬鹿だって言われたって出来ないものは出来ないんでしょうがないじゃないですかってね、喧嘩しちゃったんです。でもね、先輩の言う通りでね、留学中は辛かったです(笑)。
細井:そうでしょうね。
髙橋:ただね、先輩方が寄ってたかって後輩を育成するというのが拓大の文化ですね。香港で旅行会社に勤めてる同期にも会いまして「ああ、誰々さんですか」って言ったんですが、それを見た先輩が「お前ら、どういう挨拶の仕方してるんだ!」って言うんです。「お前ら、他人行儀じゃないか。拓大っていうのはそういうんじゃないんだ!」って言うわけです。拓大ってわかったら「おい、お前なんだ」と(笑)。そういうひとつの鍋を皆でつつくみたいな雰囲気があって、それを先輩も後輩も共有するみたいなところがありました。
細井:この企画で年代も分野も全く異なるOB/OGにインタビューしていますが、皆さん口を揃えて人との繋がりが拓大で得た財産だと仰いますね。
髙橋:そうですね。学生時代インドネシアに旅行しまして、インドネシアの独立運動に関わっていた石井先輩という方がいらっしゃいましたが、ひょこっと訪ねて行っても全然嫌がらないですからね。
細井:お知り合いなんですか。
髙橋:いいえ、トントンとドアを叩いて「先輩ですよね?後輩です」と言うと、「そうか、あがれ」って言ってくれるんです(笑)。田舎から出てきて高々2~3年で、そういう人との付き合い方を拓大で学んだんですね。
田野:すごいですね(笑)。

拓大での思い出

細井:拓大には6年間在学されてたということですが、どんな生活をされてたんですか。
髙橋:あの当時はよく学生が集まって自分たちで私塾みたいのを作ってたんです。そこで勉強会したり、読書会したり、寺巡りをしたりしながら共同生活をしてましたね。もちろんバイトもしてお金を稼ぐと海外に行ったりもしました。そんな風に遊んでばっかりでした(笑)。
細井:遊びと仰いますが、授業よりも、自分でやりたいことを見つけ、自分で仲間をつくり、自分で勉強をするという方が本当の勉強ですよね。
髙橋:そうですね。先輩が厳しくてね、色々聞くんですよ。わからないでいると、「お前、こんなこともわからんのか!」ってね(笑)。そんなことを通して、田舎から出てきて何にも知らないボンボンだったのが、一端に社会についてあれこれ語るようになるんです。
細井:最近、文科省から言われて大学では「自主的な学び」を推進していますが、それを大学や教員が躍起になって取り組んでる時点で大きな矛盾を感じます。
髙橋:あはは、そうでうね(笑)。
細井:でも、高橋先生がいらした頃の拓大には、まさに「自主的な学び」があったのではないかと思いました。
髙橋:学生同士で私塾を作り、塾間で切磋琢磨しながら人脈も広がるという具合でしたね。
細井:そのような拓大生活を振り返った時、一番の思い出は何でしょうか。
髙橋:後に上智大学の大学院に行きまして、そこではかなり勉強させられましたけど。拓大では「生き方」を学びました。思い出っていえば、一年生の時に正門を入ったら、応援団みたいな人に呼ばれたんです。それで「お前は誰だ」って言うので「拓大1年生です」と応えると、「お前はそんな顔で拓大生か」「お前の顔は優し過ぎる」とか言うんです(笑)。もう、なんなんだ、この大学はと思いましたね(笑)。
田野・細井:(爆笑)
細井:その「優しいお顔」はその後「拓大らしい顔」になったんですか。
髙橋:ええ、後輩から大分怖がられましたよ(笑)。あの当時はね、部活なんか入ると先輩から「お前は彼女いるのか」なんで聞かれるんです。「います」なんて言おうものなら、先輩から「19歳くらいで女にかまけてるとは何事だ!」なんていって、ゴチン、ゴチンと(この擬音の意味はご想像にお任せします)。ひとつのことをわき目もふらず一生懸命やることを教えられたんですね。それが思い出です。
細井:古き良き拓大の伝統ですね。現在はその伝統を守りつつ、女子学生も増やしたいのですが、その男性的なイメージが女子学生からは嫌厭されるようで…
髙橋:そうれはそうでしょうね(笑)。あの頃と時代が違いますからね。優秀さに男女関係ありませんから、拓大もちゃんと変わるべきだと思います。
細井:政経学部で良かったことはありますか。
髙橋:商学部と比べると、政経学部は世の中全般のことを学びますよね。今の私みたいな立場になりますと、そうした全般的な知識が求められます。そういった意味で、商業など何かを特化して学ぶよりも政治・法律・経済と幅広い知識を習得できた点で、政経学部で良かったと思います。

「人間というのは多様な価値観を認め合うことが重要だ」

細井:拓大は現在もグローバルに活躍する人材育成を掲げていますので、先生のような方がOBだということは在学生にとっても大きな励みになると思います。最後に、在学生にメッセージをいただけますでしょうか。
髙橋:私が学生の頃は、拓大に対する世間のイメージは「海外で活躍する人材を輩出している」というもので、外務省でも拓大出身というのは一目置かれました。拓大は本来そうあるべきだと思うんですが、今は外に出ていく人が少なくなり残念です。でも西洋化や近代化という意味でのグローバリゼーションは好きではないんです。
細井:承知しております。(B.バーバー『ジハードvsマックワールド』で議論されるような)アメリカナイゼーションという意味のグローバリゼーションのことですね。
髙橋:そうそう。やはり「人間というのは多様な価値観を認め合うことが重要だ」っていうのが拓大の先輩方の教えです。ですから、在校生の皆さんには海外に出て行っていただきたいのと、拓大の先輩をもっと訪ねていって欲しいということです。知らない大人にコンタクトを取るのはハードル高いですが、「拓大」というだけで垣根は無くなるんです。それが「生きた学問」ですし、次の世代の人材育成に繫がっていくんです。
細井:長い歴史で先輩方が築き上げてきた人脈という財産を使わないのは、拓大生としてはもったいないですよね。
髙橋:全くその通りなんです。どんどん先輩を訪ねて行って、刺激を受けてください!
田野・細井:大変貴重なお話をありがとうございました。
髙橋博史氏プロフィール

1949年、福島県生まれ。1974年、拓殖大学政経学部政治学科卒業。カブール大学でダリー語を学び、上智大学大学院で国際関係修士号取得。1990年、外務省入省。在ウズベキスタン日本国大使館公使、国際情報統括官組織第2国際情報官や駐アフガニスタン特命全権大使などを歴任。
別所 栄吾 氏01

コンプレックスを糧に成長した学生時代

別所栄吾さん
株式会社BCL 代表取締役
明るい笑顔が印象的な別所社長は、とても多才でエネルギッシュな方でした。しかし、そうした今の別所社長を作っているのは、コンプレックスをバネにして在学中に猛勉強した経験だと知り、益々魅力的で尊敬すべき方だと思いました。

インタビュー:細井優子(政経学部准教授)、田野武夫(政経学部教授)
2019年3月26日、拓殖大学文京キャンパスにて実施
別所 栄吾 氏02

起業した経緯とは

細井:別所さんが代表取締役を務めていらっしゃる株式会社BCL(Business Communication Learning)は2007年設立なんですね。失礼ですが、それ以前はどのようなことをされていたのでしょうか。
別所:1988年4月、拓殖大学政経学部経済学科国際関係コースにどうやら補欠入学いたしました(笑)。3~4年生では大橋先生のゼミで、政府開発援助(ODA)について勉強しまして、卒業後は、公益財団法人日本生産性本部に入職しました。生産性本部は、海外のいろんな研修生を受け入れていました。例えば、ロシアからエコノミストを日本に招き「市場経済とは何か」を知ってもらったり、イラン・イラクなどから「トヨタ流の生産管理」を日本にきて、現地視察してもらったりする仕事がありました。拓大で学んだODAを活かして生産性本部で仕事をしたくて入職したんです。
細井:そうですか、すごいですね。
別所:でも結局、ODAの仕事には就けなかったんです。というのは、在学中はESSでサークル活動をしておりまして、その関係で生産性本部の教育用ビデオ教材の制作に携わっていたんです。就職面接でも「希望の仕事でなくても、やる気はあるか」と聞かれていたんで、最初はODAに携わる部署ではないなと予測はついていました。そ予想どおり、新入社員のためのビジネスマナーを学ぶビデオ教材や管理職向けの人事評価の教材の開発と販売を7年間していました。その後は、企業の中での研修講師をしたり、派遣したりする部署に8年間いました。そして、15年間勤めた生産性本部を退職して、2007年に今の会社を立ち上げました。
細井:株式会社BCLですね。どのような事業をされているんですか。
別所:簡単に言うと、民間や公務の研修に講師を派遣しています。最近人気なのは、論理的にものごとを考える、書く、話す、ディベートです。これは、在学中のESSの活動や日本生産性本部で培ってきたことそのままです。

政治も経済も幅広く学べる

細井:なるほど。どうしてこの分野で起業されたのか納得しました。
改めてお聞きしたいのですが、別所社長はなぜ政経学部を選ばれたのでしょうか。
別所:高校時代、アメリカにホームステイをしたことがありました。英語は大事だと思いましたが、英語はツールであって、それ自体では商売にならないだろうと思ったんです。そこで「経済はどの時代でも必要だろう、その中でも世界各国の経済システムなどが見てみたい」と思って、政治も経済も幅広く学べる政経学部を選びました。
細井:若い時からかなり明確に将来のビジョンを意識されていたんですね。
それで実際に入学されてみて政経学部でどんなところが良かったと思われますか。
別所:まず、色々なことが学べたことが良かったと思います。1~2年の一般教養では、文化人類学、経済原論、宇宙科学、日本文化論、それから「携帯電話の料金体系は自分が作った」なんて話してくれた商学部の先生なんかもいらっしゃって、政経学部は、他の大学よりも幅広い選択肢の中から色々なことが選べたと思います。3~4年になるとゼミに入るわけですが、大学1年の時にESSのサークル活動で日本のODAの問題点を知り、どうにかしたいなという問題意識をもっていました。それが学べる大橋ゼミにも出会えました。今ではできないと思うんですが、2年が終わって136単位だったんで、その時点で卒業に必要な単位をほぼ取ってしまっていたんです。教職も取っていました。しかも登録した科目の授業は全部出席するってタイプの学生でした(笑)。
田野・細井:えー!!すごいですね!
細井:それほど大学で勉強されていたので、さぞかし政経学部はお役に立ったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか(笑)。
別所:うーん、当時の経済学はマルクス経済学なんですよ。
田野:あー(笑)。
別所:当時はベルリンの壁やソ連の崩壊があって、「マルクス経済学かぁ、うーん」と思いながらも、考え方自体は勉強になりました。例えば、ユートピアイズムとは何かを知ったり、『共産党宣言』を読んだりすると「良いこと言ってるじゃん」と思うわけですが、じゃあ、なんでそれが崩壊したんだろうとか。同じ事柄でも、Aという側面からだけでなくBという側面からも、考えてみることの重要性を学びました。ソ連が崩壊したんだから、もうマルクス経済学なんか要らないだろうという世間の声がありましたが、「そう言うけど中身知らないだろう」って思いましたね。そのとき、先生方はベルリンの壁崩壊という事実から出発して、補足の話をたくさんしてくださいました。ものを見るときの選択肢と幅が広がったということは、卒業した今でも役立っています。
田野:ああ、なるほど。
細井:それが本来の大学教育の役割ですよね。最近の学生は実学的なものばかりを大学に求めがちで、教養科目は要らないなんていう声も聞こえて大変残念に思っています。一見役に立たないようなことを学ぶことによって、将来、ものごとを考える際の素地ができることがあります。そうした広い意味での教養を学ぶところが大学だと思っておりますが、まさに別所社長は大学で教養を身につけられての今があるんだなと思いました。
別所:でも、私もそれを最初からわかっていたわけではないんです。拓大の教養科目でとっていた心理学で「無知の知」ということを教えてもらって、「無知でいることは、有用な情報が流れてきても気づかずに流してしまう」これこそが一番まずいことだと気づいたわけです。
それから、大学にいる間は、何でも学んでやろうと決心したんです。それで、授業は月曜から土曜まで1限から全部入れる生活を2年間やりました。生物学DNAの話なんて全くわかんなかったんですけど、わからないからこそ授業を取りました。それが現在の仕事で、医療や薬学関係の方に研修をするときに役立つんですよ。ちょっとでも知っておくと、わからないことが明確になり、質問すべきことがわかるんですよ。

将来ありたい姿を想像して今の自分を変えていく

細井:将来芽を出すために、学生時代に土壌を整えたり、種蒔きをしておいたりってことですよね。在学中は全ての活動を200%やられていたような印象ですが、その好奇心やエネルギーはどこから来ていたのでしょうか。多分これを読んだ在学生は、「すごいな。でも私はそこまではできない」ってなると思うんです。
別所:うーん、それはコンプレックスですね。受験のときに他の大学に落ちているんです。もちろん行きたくない大学なら受験しませんから、拾ってくれた拓大に入学したわけです。でも就職のことを考えた時、このままだと自分は負ける、何かがないとだめだと思ったんです。その中で、英語は少しできる、でもそれだけではだめだ。自分は何かひとつのことを根気強くやって1番を取れるタイプではなくて、短時間で色々なことを学び端的にまとめることの方が向いていると思ったんです。その強みを活かそうと思って、色々な分野に手を出したんですね。今思うと、負けたくないという気持ち、コンプレックスでしょうね。
細井:それは、在学生の励みになりますし、すぐにでも参考にできそうですね。私立大学はどこでも不本意入学はつきものですから、たとえ不本意入学であっても、入学後いかに早く気持ちを切り替えるかが重要だと思います。
別所:私はそういうコンプレックスがあったので、東大や青学など他大学の授業を潜りで、聴講しに行ったんですよ。「他の大学は頭の良い学生が集まっていて・・・こう言ったら大変失礼なんですけど、先生のレベルだって東大に比べたら、拓大なんて・・・」と思っていたんです。でも、実際に行ってみたら先生の話す内容なんて違わないんですよ。違っていたのは、学生の集中度や質問するとか真面目さなんですよ。拓大だと当時は授業中の私語がうるさいんですけど、他の大学の授業は静か。それから、講義が終わった後にわからないところを熱心に質問している。でも。拓大の学生は質問しないで帰ってしまう。
授業の内容は同じだったら、自分が他の大学の学生のように質問すればよいんだと思ったわけです。
田野:おお、そうですか。
別所:多く質問をしていくうちに、先生方とも親しくお話するようになり、いろいろわかってきて、さらに勉強が面白くなっていきましたね。
細井:頭が良い悪いではなくて、わからないことを諦めるか、食らいついていくかの差ですね。
すでに良いことをお聞きしましたが、最後に在学生にメッセージをお願いします。
別所:これからの社会、新卒で入社して定年退職を迎えることはなくなっていくと思います。自分の意思ではなく、会社が倒産したり合併したりして、転職を余儀なくされることもあるでしょう。そのときに重要なのは、変化に対応できることです。そのためには、10年先の自分から今の自分にメッセージを送ることを常に考えておくべきです。つい、目の前のことに対処するのが精いっぱいになりがちですが、将来ありたい姿を想像して今の自分を変えていくことが重要です。その目標を達成できない場合も当然あるので、目標自体も柔軟に変えていくことも重要です。でも、一人でできることには限りがありますから、相談できる仲間がいることはもっと大事ですね。
田野:素晴らしいですね。
細井:貴重なメッセージをありがとうございました。
別所栄吾さんプロフィール

1969年、神奈川県生まれ。1992年、拓殖大学政経学部卒業。財団法人日本生産性本部を経て、株式会社BCL代表取締役。産業カウンセラー、国際ディベート学会公認ディベートトレーナー等の資格取得。『「お前の言うことは、わけがわからん」と言わせない「ロジカルな話し方超入門」』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)など著書多数。