HOME就職・キャリア 卒業生インタビュー

卒業生インタビュー

20200131_uchiyama

チャンピオンを目指して拓大へ

内山 高志 氏

元ボクシング世界王者、株式会社KOD代表取締役
インタビュー記事を読む
世界王者として闘志溢れる現役時代の表情とは全く異なり、ジム会員様に指導する時の温かい眼差しや、質問に答える時の真っ直ぐで生き生きした表情がとても素敵で印象的でした。
 
インタビュー:細井優子(政経学部准教授)
写真撮影  :岡田陽介(政経学部准教授)
2018年12月17日、四谷にある内山氏のジムKOD&LABにて実施
トップレベルの先輩方が身近な刺激に

細井:最近このジムをオープンされたそうですね。
内山:はい、12月にオープンしてまだ2週間ちょっとです。
細井:綺麗で明るいジムで、意外と女性の会員さんが多いんですね。
内山:はい、(男女比は)半々くらいで、フィットネスとボクシングを教えています。
細井:早速ですが、ボクシングの世界でアマチュアからプロへ、そしてチャンピオンにまで登りつめた内山さんですが、なぜ拓殖大学政経学部を選ばれたのでしょうか。
内山:うーん、これは模範解答を言うべきでしょうか(笑)
細井:ここは本音でお願いします(笑)
内山:ボクシング部はわりと昔から政経学部に所属することが多かったんです。       
細井:今でもそうですね。

20200120_uchiyama_03

内山氏と岡田准教授
内山:でも政経学部で学びたかったというのもありますよ(笑)
細井:今こうしてジムの経営者になられると、政経学部での勉強が役立つ面もありますか。 
内山:はい、それはもちろんそうですね。
細井:よかったです(笑)。では学部選択はともかく拓殖大学を選んだのはどういう理由だったのでしょうか。
内山:拓大のボクシング部は全国で1、2を争う強豪だったので、どうせやるならトップのところでやりたいと思って拓大に進学しました。
細井:埼玉県春日部市出身ということで春日部の親善大使もされていますが、埼玉県の高校から拓大に進学されたんですか。
内山:はい、花咲徳栄高校のボクシング部だったんですが、毎年先輩が拓大のボクシング部に進学していたので。
細井:では拓大ボクシング部というのは、ご希望の進学先だったんですね。
内山:そうですね。
細井:実際に拓殖大学に入られていかがでしたか。
内山:僕としてはすごく楽しい学生生活だったなと思います。
細井:そうなんですか。ボクシング漬けの厳しい学生生活を想像してましたが。
内山:先生方は優しかったですし、他の部の学生や運動部に属してない普通の学生とも仲良くしてました。色々な仲間との交流があり楽しかったですし、充実してましたね。1~2年は八王子でしたが、3~4年は茗荷谷だったので、池袋なんかにも友達と月に1回くらいですが息抜きに遊びにいくこともありました。

20200120_uchiyama_02

インタビューの様子
細井:今でもその時の仲間と交流はありますか。
内山:はい、何人かは今でも交流があります。
細井:拓殖大学での思い出や拓殖大学で良かったことってありますか。
内山:僕はボクシングやってましたが、拓大は他にもレスリングや相撲も強くてトップレベルの先輩方を身近に見ることができたのは良い刺激になってましたね。
内山:それから、「拓大出身です」というと結構色々な分野でネットワークが広がるんです。
例えば、すぐそこに四谷消防署がありますが、そこの署長さんは拓大出身なんです。だから今度何か(この町のために)一緒にやろうって話をしているんです。
ボクシングをはじめたきっかけ

細井:ところで、ボクシングは時に死者も出るような命がけのスポーツというイメージがありますが、内山さんはどのようなきっかけでボクシングを始められたんですか。
内山:中学2年の時にたまたまテレビでボクシングを見てすごく興味を持ち、自分もボクシングやりたいと高校でボクシングを始めました。
細井:素人質問で恐縮ですが・・・怖くないんですか。
内山:全然怖くないです。それより興味の方がずっと勝っていて、怖いと思ったことは一度もありません。
細井:世界チャンピオンと防衛、その厳しい道のりで拓大で学んだことが活きたことってありますか。
内山:上下関係や礼儀ですね。そういったものはかなり厳しかったです。だから、他の世界に出て行ったときにずいぶん楽に感じました。今のビジネスの世界でも礼儀は大切なので役立ってます。

20200120_uchiyama_04

内山氏と細井准教授
貴重な時間を無駄にするな

細井:それでは最後に、内山チャンピオンから現役の拓大生に何かメッセージをいただけないでしょうか。
内山:「意味のない学生生活を過ごしてほしくない」ということです。学生生活4年間で培ったものがあるかないかが、その後の人生で伸びるか伸びないかの差になってくると思います。目標がある人はそれに向かってしっかりと頑張ってほしいし、目標がない人も今目の前にあることに我武者羅に取り組む、その中から何かが見つかると思うんです。
せっかく拓大に入ったからには時間を無駄にせず、しっかり勉強をした方がいいです。そうじゃないと、何か目標が見つかったときに気づいて勉強するのでは出遅れてしまいます。僕でも大学生に戻れたらと思うことが今でもありますから。細井:それはどんなことですか。
内山:やはり今ジム経営を始めましたので、学生時代に経営学をもっと勉強しておけば良かったなと思うことがあります。ボクシングだってもっと練習しておけばと思います。
細井:ボクシングもですか。
内山:はい、時間は限られています。毎日(やりたいことに対して)時間が足りないと感じています。今学生生活を振り返ると時間を無駄にしたと思う部分もあります。だから、現役生たちには貴重な時間を無駄にするなと言いたいです。
細井:ありがとうございました。
内山高志氏プロフィール
 
1979年11月10日、埼玉県生まれ。高校からボクシングを始め、拓殖大ボクシング部で活躍。2002年、拓殖大学卒業後は会社勤めをしながらアマチュアボクシングで全日本選手権3連覇を果たす。2005年、25歳でプロデビュー。2010年、ファン・カルロス・サルガドを破りWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得。11連続防衛を果たし、WBAでは日本人初のスーパーチャンピオンにも認定された。プロ通算27戦24勝(20KO)2敗1分け。そのKO率の高さから「ノックアウト・ダイナマイト」の異名をとった。
記事内容は取材当時のものである

20200131_takahashi

「人種の色と地の境、我が立つ前に差別無し」という価値観を学ぶ

髙橋 博史 氏

外務省参与・元アフガニスタン大使
インタビュー記事を読む
髙橋大使からは、古き良き拓大の伝統をお聞きすることができました。柔和な大使とはギャップのある豪快なお話に、驚かされたり笑わされたり、とても楽しいインタビューでした。世界でご活躍された拓大が誇るべきOBです。
 
インタビュー:細井優子(政経学部准教授)、田野武夫(政経学部教授)
2019年3月27日、外務省にて実施
私自身を作ったのは拓大

細井:髙橋先生は華麗なご経歴をお持ちですが、拓殖大学を卒業後すぐにカブール大学でダリー語を学ばれていますね。この留学はどういった経緯があったのでしょうか。
髙橋:拓大の先輩に「お前、卒業後どうするんだ」と聞かれて、「どうするんでしょうね」と言ってたら、「お前、カブール大学に留学したらどうだ」と言われたんです。

20200131_takahashi

細井:その先輩も外務省の方なんですか。
髙橋:いえいえ、全然関係ないです。ただ私もなぜアフガニスタンなのかは聞きました。そうしたら、大川周明の『復興亜細亜の諸問題』をボーンと投げられまして、読んでみろと言われました。グレート・ゲームといういわゆる19世紀から20世紀における英露の戦いのさなかに、アフガニスタンがどのように大国のパワーゲームの中サバイブしていくかというのが書かれていたんです。これは面白いと思いまして少し勉強もして、先輩に「行きます」と言ったんですけど、カネないですからね(笑)。
細井:それでどうされたんですか。
髙橋:バイトしろとか言われましてね。いい加減なもんです。でも、私は「これだ!」と思っていましたので、やはり行くことにしました。
細井:大川周明と言いますと東京裁判で東条英機の頭をピシャっと叩くことで有名ですが、あの後、拓殖大学で教鞭を執られてたんですね。
髙橋:戦前から教鞭を執っていましたね。
細井:そうなんですか。
髙橋:日本で最初にコーランを翻訳した人です。
細井:東京裁判で勾留中にですよね。
髙橋:『復興亜細亜の諸問題』を読みながら、アジアっていうのは大国に翻弄されて本当に大変な状況にあるっていうのは認識しましたね。ただその時はまだそんな大国のゲームの中に私自身がどっぷり入っちゃうなんてことは予想もしませんでした(笑)。
細井:言葉も出来て、アフガニスタンにどっぷり入れる人材は貴重ですから、それがその後の外務省でのご活躍につながっていったのではないかと思います。
髙橋:私自身を作ったのは拓大だと思っています。(拓大校歌の)「人種の色と地の境、我が立つ前に差別無し」という価値観で世界を見てみると(それ以前と見え方が)全然違うんですね。日本というのは(島国なので)ある意味ラクな社会ですよね。もっと難しい地域があるなと思いながら、たまたま外務省に入って、今こんな風になっています(笑)。
細井:外務省に求められる人材だったんですね。
髙橋:人材育成という観点からすると、多種多様な人材を育成するんだという拓大の先輩方の考え方に乗っけられたというか、私がはまったとういう感じです。
細井:お話を伺っていますと、拓大の開拓の精神や豪快な文化があったからこそ、カブールという土地にも飛び込んで行けたのかなと納得してしまうところがあります。
髙橋:そうかもしれませんね。
後輩を育成する文化

細井:拓大の中でも政経学部を選ばれたのはどうしてだったのでしょうか。
髙橋:私はど田舎から何もわからずに大学に入ってしまったんです。何も知らない状態で、拓大で人格を形成していったという感じで、生き方を決めてくれたのが拓大だと思いますね。拓大では「世界に出ていけ」、「人の役に立つような人になれ」ということを教えられました。しかも私の場合は4年間ではなく6年間いましたからね(笑)。
細井:そうなんですか。それは初耳です(笑)。
髙橋:拓大にいた頃は、遊んでばっかりで全然勉強してなかったんです。だから、留学するときは辛かったですね(笑)。大変辛かったけど、やると決めた以上やるしかない。
カブールには直行便がないのでデリー経由で行くんですが、その前に香港に(仙台の伊達藩の血筋をひく)伊達先輩という方がおられたので訪ねて行きました。初対面でしたが先輩は歓迎会をしてくださいまして、「高橋、英語は出来るのか」聞かれまして「出来ません」と言うと、「馬鹿じゃないかお前は!」って言ってね(笑)。馬鹿だって言われたって出来ないものは出来ないんでしょうがないじゃないですかってね、喧嘩しちゃったんです。でもね、先輩の言う通りでね、留学中は辛かったです(笑)。
細井:そうでしょうね。
髙橋:ただね、先輩方が寄ってたかって後輩を育成するというのが拓大の文化ですね。香港で旅行会社に勤めてる同期にも会いまして「ああ、誰々さんですか」って言ったんですが、それを見た先輩が「お前ら、どういう挨拶の仕方してるんだ!」って言うんです。「お前ら、他人行儀じゃないか。拓大っていうのはそういうんじゃないんだ!」って言うわけです。拓大ってわかったら「おい、お前なんだ」と(笑)。そういうひとつの鍋を皆でつつくみたいな雰囲気があって、それを先輩も後輩も共有するみたいなところがありました。
細井:この企画で年代も分野も全く異なるOB/OGにインタビューしていますが、皆さん口を揃えて人との繋がりが拓大で得た財産だと仰いますね。
髙橋:そうですね。学生時代インドネシアに旅行しまして、インドネシアの独立運動に関わっていた石井先輩という方がいらっしゃいましたが、ひょこっと訪ねて行っても全然嫌がらないですからね。
細井:お知り合いなんですか。
髙橋:いいえ、トントンとドアを叩いて「先輩ですよね?後輩です」と言うと、「そうか、あがれ」って言ってくれるんです(笑)。田舎から出てきて高々2~3年で、そういう人との付き合い方を拓大で学んだんですね。
田野:すごいですね(笑)。
拓大での思い出

細井:拓大には6年間在学されてたということですが、どんな生活をされてたんですか。
髙橋:あの当時はよく学生が集まって自分たちで私塾みたいのを作ってたんです。そこで勉強会したり、読書会したり、寺巡りをしたりしながら共同生活をしてましたね。もちろんバイトもしてお金を稼ぐと海外に行ったりもしました。そんな風に遊んでばっかりでした(笑)。
細井:遊びと仰いますが、授業よりも、自分でやりたいことを見つけ、自分で仲間をつくり、自分で勉強をするという方が本当の勉強ですよね。
髙橋:そうですね。先輩が厳しくてね、色々聞くんですよ。わからないでいると、「お前、こんなこともわからんのか!」ってね(笑)。そんなことを通して、田舎から出てきて何にも知らないボンボンだったのが、一端に社会についてあれこれ語るようになるんです。
細井:最近、文科省から言われて大学では「自主的な学び」を推進していますが、それを大学や教員が躍起になって取り組んでる時点で大きな矛盾を感じます。
髙橋:あはは、そうでうね(笑)。
細井:でも、高橋先生がいらした頃の拓大には、まさに「自主的な学び」があったのではないかと思いました。
髙橋:学生同士で私塾を作り、塾間で切磋琢磨しながら人脈も広がるという具合でしたね。
細井:そのような拓大生活を振り返った時、一番の思い出は何でしょうか。
髙橋:後に上智大学の大学院に行きまして、そこではかなり勉強させられましたけど。拓大では「生き方」を学びました。思い出っていえば、一年生の時に正門を入ったら、応援団みたいな人に呼ばれたんです。それで「お前は誰だ」って言うので「拓大1年生です」と応えると、「お前はそんな顔で拓大生か」「お前の顔は優し過ぎる」とか言うんです(笑)。もう、なんなんだ、この大学はと思いましたね(笑)。
田野・細井:(爆笑)
細井:その「優しいお顔」はその後「拓大らしい顔」になったんですか。
髙橋:ええ、後輩から大分怖がられましたよ(笑)。あの当時はね、部活なんか入ると先輩から「お前は彼女いるのか」なんで聞かれるんです。「います」なんて言おうものなら、先輩から「19歳くらいで女にかまけてるとは何事だ!」なんていって、ゴチン、ゴチンと(この擬音の意味はご想像にお任せします)。ひとつのことをわき目もふらず一生懸命やることを教えられたんですね。それが思い出です。
細井:古き良き拓大の伝統ですね。現在はその伝統を守りつつ、女子学生も増やしたいのですが、その男性的なイメージが女子学生からは嫌厭されるようで…
髙橋:そうれはそうでしょうね(笑)。あの頃と時代が違いますからね。優秀さに男女関係ありませんから、拓大もちゃんと変わるべきだと思います。
細井:政経学部で良かったことはありますか。
髙橋:商学部と比べると、政経学部は世の中全般のことを学びますよね。今の私みたいな立場になりますと、そうした全般的な知識が求められます。そういった意味で、商業など何かを特化して学ぶよりも政治・法律・経済と幅広い知識を習得できた点で、政経学部で良かったと思います。
「人間というのは多様な価値観を認め合うことが重要だ」

細井:拓大は現在もグローバルに活躍する人材育成を掲げていますので、先生のような方がOBだということは在学生にとっても大きな励みになると思います。最後に、在学生にメッセージをいただけますでしょうか。
髙橋:私が学生の頃は、拓大に対する世間のイメージは「海外で活躍する人材を輩出している」というもので、外務省でも拓大出身というのは一目置かれました。拓大は本来そうあるべきだと思うんですが、今は外に出ていく人が少なくなり残念です。でも西洋化や近代化という意味でのグローバリゼーションは好きではないんです。
細井:承知しております。(B.バーバー『ジハードvsマックワールド』で議論されるような)アメリカナイゼーションという意味のグローバリゼーションのことですね。
髙橋:そうそう。やはり「人間というのは多様な価値観を認め合うことが重要だ」っていうのが拓大の先輩方の教えです。ですから、在校生の皆さんには海外に出て行っていただきたいのと、拓大の先輩をもっと訪ねていって欲しいということです。知らない大人にコンタクトを取るのはハードル高いですが、「拓大」というだけで垣根は無くなるんです。それが「生きた学問」ですし、次の世代の人材育成に繫がっていくんです。
細井:長い歴史で先輩方が築き上げてきた人脈という財産を使わないのは、拓大生としてはもったいないですよね。
髙橋:全くその通りなんです。どんどん先輩を訪ねて行って、刺激を受けてください!
田野・細井:大変貴重なお話をありがとうございました。
髙橋博史氏プロフィール
 
1949年、福島県生まれ。1974年、拓殖大学政経学部政治学科卒業。カブール大学でダリー語を学び、上智大学大学院で国際関係修士号取得。1990年、外務省入省。在ウズベキスタン日本国大使館公使、国際情報統括官組織第2国際情報官や駐アフガニスタン特命全権大使などを歴任。
記事内容は取材当時のものである

20200131_bessyo

コンプレックスを糧に成長した学生時代

別所 栄吾 氏

株式会社BCL 代表取締役
インタビュー記事を読む
明るい笑顔が印象的な別所社長は、とても多才でエネルギッシュな方でした。しかし、そうした今の別所社長を作っているのは、コンプレックスをバネにして在学中に猛勉強した経験だと知り、益々魅力的で尊敬すべき方だと思いました。
 
インタビュー:細井優子(政経学部准教授)、田野武夫(政経学部教授)
2019年3月26日、拓殖大学文京キャンパスにて実施

20200131_bessyo

起業した経緯とは

細井:別所さんが代表取締役を務めていらっしゃる株式会社BCL(Business Communication Learning)は2007年設立なんですね。失礼ですが、それ以前はどのようなことをされていたのでしょうか。
別所:1988年4月、拓殖大学政経学部経済学科国際関係コースにどうやら補欠入学いたしました(笑)。3~4年生では大橋先生のゼミで、政府開発援助(ODA)について勉強しまして、卒業後は、公益財団法人日本生産性本部に入職しました。生産性本部は、海外のいろんな研修生を受け入れていました。例えば、ロシアからエコノミストを日本に招き「市場経済とは何か」を知ってもらったり、イラン・イラクなどから「トヨタ流の生産管理」を日本にきて、現地視察してもらったりする仕事がありました。拓大で学んだODAを活かして生産性本部で仕事をしたくて入職したんです。
細井:そうですか、すごいですね。
別所:でも結局、ODAの仕事には就けなかったんです。というのは、在学中はESSでサークル活動をしておりまして、その関係で生産性本部の教育用ビデオ教材の制作に携わっていたんです。就職面接でも「希望の仕事でなくても、やる気はあるか」と聞かれていたんで、最初はODAに携わる部署ではないなと予測はついていました。そ予想どおり、新入社員のためのビジネスマナーを学ぶビデオ教材や管理職向けの人事評価の教材の開発と販売を7年間していました。その後は、企業の中での研修講師をしたり、派遣したりする部署に8年間いました。そして、15年間勤めた生産性本部を退職して、2007年に今の会社を立ち上げました。
細井:株式会社BCLですね。どのような事業をされているんですか。
別所:簡単に言うと、民間や公務の研修に講師を派遣しています。最近人気なのは、論理的にものごとを考える、書く、話す、ディベートです。これは、在学中のESSの活動や日本生産性本部で培ってきたことそのままです。
政治も経済も幅広く学べる

細井:なるほど。どうしてこの分野で起業されたのか納得しました。
改めてお聞きしたいのですが、別所社長はなぜ政経学部を選ばれたのでしょうか。
別所:高校時代、アメリカにホームステイをしたことがありました。英語は大事だと思いましたが、英語はツールであって、それ自体では商売にならないだろうと思ったんです。そこで「経済はどの時代でも必要だろう、その中でも世界各国の経済システムなどが見てみたい」と思って、政治も経済も幅広く学べる政経学部を選びました。
細井:若い時からかなり明確に将来のビジョンを意識されていたんですね。
それで実際に入学されてみて政経学部でどんなところが良かったと思われますか。
別所:まず、色々なことが学べたことが良かったと思います。1~2年の一般教養では、文化人類学、経済原論、宇宙科学、日本文化論、それから「携帯電話の料金体系は自分が作った」なんて話してくれた商学部の先生なんかもいらっしゃって、政経学部は、他の大学よりも幅広い選択肢の中から色々なことが選べたと思います。3~4年になるとゼミに入るわけですが、大学1年の時にESSのサークル活動で日本のODAの問題点を知り、どうにかしたいなという問題意識をもっていました。それが学べる大橋ゼミにも出会えました。今ではできないと思うんですが、2年が終わって136単位だったんで、その時点で卒業に必要な単位をほぼ取ってしまっていたんです。教職も取っていました。しかも登録した科目の授業は全部出席するってタイプの学生でした(笑)。
田野・細井:えー!!すごいですね!
細井:それほど大学で勉強されていたので、さぞかし政経学部はお役に立ったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか(笑)。
別所:うーん、当時の経済学はマルクス経済学なんですよ。
田野:あー(笑)。
別所:当時はベルリンの壁やソ連の崩壊があって、「マルクス経済学かぁ、うーん」と思いながらも、考え方自体は勉強になりました。例えば、ユートピアイズムとは何かを知ったり、『共産党宣言』を読んだりすると「良いこと言ってるじゃん」と思うわけですが、じゃあ、なんでそれが崩壊したんだろうとか。同じ事柄でも、Aという側面からだけでなくBという側面からも、考えてみることの重要性を学びました。ソ連が崩壊したんだから、もうマルクス経済学なんか要らないだろうという世間の声がありましたが、「そう言うけど中身知らないだろう」って思いましたね。そのとき、先生方はベルリンの壁崩壊という事実から出発して、補足の話をたくさんしてくださいました。ものを見るときの選択肢と幅が広がったということは、卒業した今でも役立っています。
田野:ああ、なるほど。
細井:それが本来の大学教育の役割ですよね。最近の学生は実学的なものばかりを大学に求めがちで、教養科目は要らないなんていう声も聞こえて大変残念に思っています。一見役に立たないようなことを学ぶことによって、将来、ものごとを考える際の素地ができることがあります。そうした広い意味での教養を学ぶところが大学だと思っておりますが、まさに別所社長は大学で教養を身につけられての今があるんだなと思いました。
別所:でも、私もそれを最初からわかっていたわけではないんです。拓大の教養科目でとっていた心理学で「無知の知」ということを教えてもらって、「無知でいることは、有用な情報が流れてきても気づかずに流してしまう」これこそが一番まずいことだと気づいたわけです。
それから、大学にいる間は、何でも学んでやろうと決心したんです。それで、授業は月曜から土曜まで1限から全部入れる生活を2年間やりました。生物学DNAの話なんて全くわかんなかったんですけど、わからないからこそ授業を取りました。それが現在の仕事で、医療や薬学関係の方に研修をするときに役立つんですよ。ちょっとでも知っておくと、わからないことが明確になり、質問すべきことがわかるんですよ。
将来ありたい姿を想像して今の自分を変えていく

細井:将来芽を出すために、学生時代に土壌を整えたり、種蒔きをしておいたりってことですよね。在学中は全ての活動を200%やられていたような印象ですが、その好奇心やエネルギーはどこから来ていたのでしょうか。多分これを読んだ在学生は、「すごいな。でも私はそこまではできない」ってなると思うんです。
別所:うーん、それはコンプレックスですね。受験のときに他の大学に落ちているんです。もちろん行きたくない大学なら受験しませんから、拾ってくれた拓大に入学したわけです。でも就職のことを考えた時、このままだと自分は負ける、何かがないとだめだと思ったんです。その中で、英語は少しできる、でもそれだけではだめだ。自分は何かひとつのことを根気強くやって1番を取れるタイプではなくて、短時間で色々なことを学び端的にまとめることの方が向いていると思ったんです。その強みを活かそうと思って、色々な分野に手を出したんですね。今思うと、負けたくないという気持ち、コンプレックスでしょうね。
細井:それは、在学生の励みになりますし、すぐにでも参考にできそうですね。私立大学はどこでも不本意入学はつきものですから、たとえ不本意入学であっても、入学後いかに早く気持ちを切り替えるかが重要だと思います。
別所:私はそういうコンプレックスがあったので、東大や青学など他大学の授業を潜りで、聴講しに行ったんですよ。「他の大学は頭の良い学生が集まっていて・・・こう言ったら大変失礼なんですけど、先生のレベルだって東大に比べたら、拓大なんて・・・」と思っていたんです。でも、実際に行ってみたら先生の話す内容なんて違わないんですよ。違っていたのは、学生の集中度や質問するとか真面目さなんですよ。拓大だと当時は授業中の私語がうるさいんですけど、他の大学の授業は静か。それから、講義が終わった後にわからないところを熱心に質問している。でも。拓大の学生は質問しないで帰ってしまう。
授業の内容は同じだったら、自分が他の大学の学生のように質問すればよいんだと思ったわけです。
田野:おお、そうですか。
別所:多く質問をしていくうちに、先生方とも親しくお話するようになり、いろいろわかってきて、さらに勉強が面白くなっていきましたね。
細井:頭が良い悪いではなくて、わからないことを諦めるか、食らいついていくかの差ですね。
すでに良いことをお聞きしましたが、最後に在学生にメッセージをお願いします。
別所:これからの社会、新卒で入社して定年退職を迎えることはなくなっていくと思います。自分の意思ではなく、会社が倒産したり合併したりして、転職を余儀なくされることもあるでしょう。そのときに重要なのは、変化に対応できることです。そのためには、10年先の自分から今の自分にメッセージを送ることを常に考えておくべきです。つい、目の前のことに対処するのが精いっぱいになりがちですが、将来ありたい姿を想像して今の自分を変えていくことが重要です。その目標を達成できない場合も当然あるので、目標自体も柔軟に変えていくことも重要です。でも、一人でできることには限りがありますから、相談できる仲間がいることはもっと大事ですね。
田野:素晴らしいですね。
細井:貴重なメッセージをありがとうございました。
別所栄吾氏プロフィール
 
1969年、神奈川県生まれ。1992年、拓殖大学政経学部卒業。財団法人日本生産性本部を経て、株式会社BCL代表取締役。産業カウンセラー、国際ディベート学会公認ディベートトレーナー等の資格取得。『「お前の言うことは、わけがわからん」と言わせない「ロジカルな話し方超入門」』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)など著書多数。
記事内容は取材当時のものである

TOOLS